時代への迎合(も良いもんだ)
最近漫画やアニメのコレクションが流行っておりますわね、奥様。
そうですわね。ですが私は流行に乗ってそういう類いのものは買い与えませんの。
まあ…ご立派な教育方針ですこと…
漫画ドラえもん の中でのび太の母がある婦人と話している一場面だ。このあと漫画の中で、のび太が「立派なのかケチなのか…」と皮肉を込めて言う場面が続いたはずだ。私としてはのび太の母には賛成である。
最近では科学技術の進歩、文明の進歩によってどんどん時代が刷新されていく。歴史年表を見ると、今に近づけば近づくほど年ごとに起こったことが増えていく。昔と今とでは時間の進みかたが違っているだろう。ふと10数年前を思い返すと、まだスマ
ートフォンもなく、テレビだってあんなに薄くはなく、今と比べると完全に昔の世界だ。浦島太郎の気分が世間一般に広く渡ったのである。
ここ数年のニュースを見ると今ではバカらしいようなことが、当時は全然広く行われていたことがわかる。これは今でも同じことかも知れない。ハロウィーンの仮装パーティーに至っても同じことだ。元はキリスト教の祝祭であったのに今日本で行わ
れているものを見ると、ちょっとビックリせざるを得ない。
小さな子供らが仮装して町に繰り出して、「トリックオアトリート!」とでも言ってお菓子をねだっているのなら見ていてほのぼのとするが、大の大が、それも日本を支える大人があんなことをしていては品行も何もないと思う。(でも、若いって良いなぁと思っている私がいる。)
仮装パーティーは私個人として欽ちゃんに任せておいた方が面白いと思う。(それでも若いって良いなぁ。羨ましい。)
ただ、一つ言えることは、今の内に遊べるだけ遊んで、勉強するだけ勉強して、後悔しないようにしてほしい。もう私にはわからなくなったが若いときに感じることができる楽しさというのは絶対にある。今を生きること、楽しむことがやはり大切かなと思う。
しかしただ時代の風潮に竿を挿すということになってはいけないと思う。
それはいわゆる時代への迎合であるし、それは昔から考えるべき行動ともされてき
た。なぜ考えるべき行動かと言うと、大体それには一種の興奮や一瞬の熱情が伴い、
それによって自分自身本来あるべき姿ではなくなったり、他の人間が(時間的なものも含めて)害を被ったりするからだ。時代への迎合はいつの時代でもあった。きっと将来にもあることだろう。(清少納言が若者の言葉遣いは...とのこしている)
昔からあることの意味も考えることは大切。でも、それを利用しながら、若者がみずみずしい感性で私達が作った古い世界はどんどん壊していって欲しいと言うのが本心である。